心の整理整頓②
2021年大晦日
主人が少し落ち着いた所ですぐに訪問看護してもらっている病院へ連絡を入れ看護師さんに状況を説明する。
主人は10月くらいから声が出なくなった。
これもがんの影響。左の声帯が麻痺している。なので筆談するようになった。
わたしのが看護師さんとやり取りをしている横でペンを持ちノートに書き出す。
「ほんまにちゃんと伝わってるか?」
「(医師)来てくれるん?いつ?」
「そんなんやったらわからんて。ちゃんと言うて」
矢継ぎ早に書きなぐる。字は乱れ
怒りや不安を感じさせわたしの胸はしめつけられた。
わたしが少し戸惑いをみせると
「そんな顔せんといて」
「俺にはお前しかおらんのやから」
「わかってるやろ?」「なぁ」
必死にペンを走らせてわたしに伝えようとしている。【助けて】と。
看護師さんが医師と一緒に来てくれる事になり、主人に伝えると少し落ち着いて正気を取り戻しポツリと
「血吐いてもた」呟いた。
暫くして看護師さんと医師が来た。
吐いた血の量や血を吐いた事自体がはじめてという事など鑑みて救急で病院に行きましょう。との判断に至った。
主人はこの時、病状からして終末期に入った所だった。
救急で病院という事はコロナ感染症のため入院になってしまったら家族は付き添ないのでもう会えないかも知れない。
まだ一生懸命自分を保とうと頑張っていた主人はしんどかったと思う。
【せん妄】病気のせいでいろんな事に過敏に反応し怒りやすくなったり正確な判断ができなくなる。
この時すでにせん妄の症状は出てきていて些細な事で怒ったりしていた。
おしゃべりが好きなのに声を奪われ
食べる事が好きなのに食べれなくなって
辛かっただろう。
しんどかっただろう。
頭を動かすとめまいがひどく気を失いそうになるので救急隊員さんにはなるべくゆらさないで欲しいとお願いした。
何とか救急車に乗せてもらい近くにある大きい病院へ。
すぐに診察と検査となり待つことになった。
待ちながら主人が病気になる前から
何度も何度も言っていた事を思い出す。
「〇〇〇(わたしの名前)。最期はちゃんと手握っててな。他には誰も呼ばんといて。子どももやで。お願いやで。」
わたしはこの切なる願いを
ささやかな願いを叶えられるだろうか。
コロナ感染症なんてなければとまた思った。
子どもの頃
特別お題【今だから話せる事】
ウチはわたしが物心ついた時にはすごく貧乏だった。
両親共働きで持ち家もあったのに。だ。
理由は簡単。父さんがお酒を飲む人だった。しかも酒が弱い。だから[カモ]にも
されていた。
お誘いを受けたら絶対行こうとする。
勝手にお金を持ち出して。
酔って帰ってくると暴れる。
基本、弱い人だった。
給料の大半は飲み屋のツケになくなる。
母さんの給料を合わせても足りない。
でも食べていかなければ生きていけない。
そんな状況。毎日。何年も。
わたしが小5の頃父さんが行ってた飲み屋からの電話をわたしが受けた。
「〇〇さんのツケが2万あるから払って欲しい」と。2万?!ないない。電気もガスも止まる寸前やのに。どうしよ?
母さんに相談しても無いもんは払われへん。と。そりゃそう。わたしでも分かる。
怖いもの知らずのわたしはその飲み屋に直接行った。ひとりで。
〇〇の娘です。ご迷惑かけてすみません。
ツケの2万。一気には払うお金がないんです。2千円づつ10回に分けて払います。お願いします。
と。拙い敬語でママさんに伝えた。
ママさんは
「そんな甘いもんじゃない。なんで子どもが来るん?お母さんは?」
「5千円を4回で。こっちも商売やから」
仕方なく従う事にした。そこでわたしは
ツケはわたしが持って来ます。それと
この先父が店に来ても追い返して下さい。
帰らんかったりしたらウチに電話を下さい。迎えに行きます。
とお願いした。
ママさんは分かったと言ってくれた。
後日、父さんがそのお店に行ったらママさんに娘さんに店に入れへんように言われてるからと言われ
同僚と一緒にいたのでとても恥ずかしい思いをしたようで他の店でしこたま飲んで泥酔して帰って来た。
帰って来るなり大声でわたしの名を叫び
わたしの布団までやってきた。
胸ぐらをつかまれ持ち上げられ
父さんの顔とわたしの顔が10cmくらいまでになり
暗くても顔色が赤くなって怒っていることは容易に分かった。
「お前は何て事をしてくれたんや?」
「俺、立場ないやん」
「恥ずかしいやろ。そんなん分かるやろ?」と。
酒臭い息とツバを浴びながら聞いた。
わたしは言い返した。
ほなら、わたしらはどうなってもええんか?出て行っても?死んでもや?
それは嫌なんやろ?ああするしかなかったんや!!
わたしにここまでされたらもう飲みに行ことは思わへんやろ?それでも行くって言うんやったらわたしにも考えがある。
父がなんや?と聞き返したので
わたしが父の首を両手でつかんで絞めた。
父さんと一緒に死んだる。
子どもの精一杯の力を込めて絞めた。
わたしはその方がいいと咄嗟に思った。
わたしと父さんがいなくなれば
母さんと妹ふたり。田舎に帰れば死なずに済むやろうと思った。
小5の浅はかな思考。でもそこに嘘はなく
本気だった。
父さんは簡単にわたしの手を解き
あほか。俺かて分かってるわ、お前に言われんでも…。
吃音症がある父は幼い頃からイジメられていたようで大人になってもその呪縛からは逃れられずカモにされてもいいから自分と遊んでくれる相手にしてくれる(遊ばれているだけだが…)人と居たかったようだ。
そんな事があってからも父さんは飲みに行くのをやめなかった。でも変わった事がある。
飲みに行くお店は2件だけ。
飲みに行くとすぐにわたしに連絡が入りそのお店に行き一緒に過ごす。
お酒は1杯のみ。その後はお茶。
ママさんや他のお客さんからは優しくしてもらっていた。
父さんはカラオケが好き。で、まぁ。
上手かった。その影響かわたしも歌う事に上手いか下手かは置いといて抵抗はなかった。
他のお客さんからリクエストをもらっては歌いジュースを奢ってもらったりお小遣いをもらったりしていた。
そんなわたしを見ながら父さんはなぜかご機嫌だった。
酔って帰ってきて暴れられるより100倍
よかった。
ちなみに他のお客さんに人気があった曲は
恋におちて・帰ってこいよ・少女Aだった。
そんな子どもの頃の話。でした。
心の整理整頓①
まだあたたかいその手は握り返してはくれなかった。
わたしの主人は1年前の冬に亡くなった。
がんだった。最後まで闘って逝った。
これはわたしがちゃんと前に進めるように
体験した事や思った事
そして悲しかった事などを綴ろうと思う。
心の整理整頓を始めます。
2021年12月31日大晦日
主人は昨日からお腹が張っていて
これは便が長い間出ていないからか
今日は吐き気もあり表情は険しい。
それでも私に
「散髪行っておいで」と気遣いをみせる。
訪問看護になって2ヶ月。なるべく家で
過ごしたいという主人の切なる願い。
でも通院から訪問看護になり
いろんな事が変わり主人も不安な毎日を過ごしていた。
お言葉に甘えて午前中散髪へ。
鏡に映るわたしは白髪のせいもあるが
びっくりするくらいしんどそうだった。
髪はボサボサ。肌はカサカサ。
こんなしんどそうな顔でわたしは主人の世話をしてるのか。
しんどい主人に気を遣わせてたのはわたしだった。情けなくて涙が出た。
元気を出さなければ。改めて誓い帰宅。
ただいま。と主人の側へ行くと明らかに顔色がおかしい。吐き気がひどい。背中をさする。浮き出た背骨が痛くならないようにさする。もう吐きそうとなり
洗面器を口にあてがえると
真っ赤な血を吐いた。何度も吐いた。
わたしは少しびっくりしたが逆に冷静になり
時間・量・色・匂い・息・口や喉に何か詰まってないか・尿便はもらしてないか
など考えながら
痩せた体で苦しそうに血を吐く主人に
大丈夫やで。わたしがおるよ。病院にはすぐ連絡しよね。まだ出そう?全部出たら口すすごうね。
って言いながら背中さするしか出来なかった。