子どもの頃
特別お題【今だから話せる事】
ウチはわたしが物心ついた時にはすごく貧乏だった。
両親共働きで持ち家もあったのに。だ。
理由は簡単。父さんがお酒を飲む人だった。しかも酒が弱い。だから[カモ]にも
されていた。
お誘いを受けたら絶対行こうとする。
勝手にお金を持ち出して。
酔って帰ってくると暴れる。
基本、弱い人だった。
給料の大半は飲み屋のツケになくなる。
母さんの給料を合わせても足りない。
でも食べていかなければ生きていけない。
そんな状況。毎日。何年も。
わたしが小5の頃父さんが行ってた飲み屋からの電話をわたしが受けた。
「〇〇さんのツケが2万あるから払って欲しい」と。2万?!ないない。電気もガスも止まる寸前やのに。どうしよ?
母さんに相談しても無いもんは払われへん。と。そりゃそう。わたしでも分かる。
怖いもの知らずのわたしはその飲み屋に直接行った。ひとりで。
〇〇の娘です。ご迷惑かけてすみません。
ツケの2万。一気には払うお金がないんです。2千円づつ10回に分けて払います。お願いします。
と。拙い敬語でママさんに伝えた。
ママさんは
「そんな甘いもんじゃない。なんで子どもが来るん?お母さんは?」
「5千円を4回で。こっちも商売やから」
仕方なく従う事にした。そこでわたしは
ツケはわたしが持って来ます。それと
この先父が店に来ても追い返して下さい。
帰らんかったりしたらウチに電話を下さい。迎えに行きます。
とお願いした。
ママさんは分かったと言ってくれた。
後日、父さんがそのお店に行ったらママさんに娘さんに店に入れへんように言われてるからと言われ
同僚と一緒にいたのでとても恥ずかしい思いをしたようで他の店でしこたま飲んで泥酔して帰って来た。
帰って来るなり大声でわたしの名を叫び
わたしの布団までやってきた。
胸ぐらをつかまれ持ち上げられ
父さんの顔とわたしの顔が10cmくらいまでになり
暗くても顔色が赤くなって怒っていることは容易に分かった。
「お前は何て事をしてくれたんや?」
「俺、立場ないやん」
「恥ずかしいやろ。そんなん分かるやろ?」と。
酒臭い息とツバを浴びながら聞いた。
わたしは言い返した。
ほなら、わたしらはどうなってもええんか?出て行っても?死んでもや?
それは嫌なんやろ?ああするしかなかったんや!!
わたしにここまでされたらもう飲みに行ことは思わへんやろ?それでも行くって言うんやったらわたしにも考えがある。
父がなんや?と聞き返したので
わたしが父の首を両手でつかんで絞めた。
父さんと一緒に死んだる。
子どもの精一杯の力を込めて絞めた。
わたしはその方がいいと咄嗟に思った。
わたしと父さんがいなくなれば
母さんと妹ふたり。田舎に帰れば死なずに済むやろうと思った。
小5の浅はかな思考。でもそこに嘘はなく
本気だった。
父さんは簡単にわたしの手を解き
あほか。俺かて分かってるわ、お前に言われんでも…。
吃音症がある父は幼い頃からイジメられていたようで大人になってもその呪縛からは逃れられずカモにされてもいいから自分と遊んでくれる相手にしてくれる(遊ばれているだけだが…)人と居たかったようだ。
そんな事があってからも父さんは飲みに行くのをやめなかった。でも変わった事がある。
飲みに行くお店は2件だけ。
飲みに行くとすぐにわたしに連絡が入りそのお店に行き一緒に過ごす。
お酒は1杯のみ。その後はお茶。
ママさんや他のお客さんからは優しくしてもらっていた。
父さんはカラオケが好き。で、まぁ。
上手かった。その影響かわたしも歌う事に上手いか下手かは置いといて抵抗はなかった。
他のお客さんからリクエストをもらっては歌いジュースを奢ってもらったりお小遣いをもらったりしていた。
そんなわたしを見ながら父さんはなぜかご機嫌だった。
酔って帰ってきて暴れられるより100倍
よかった。
ちなみに他のお客さんに人気があった曲は
恋におちて・帰ってこいよ・少女Aだった。
そんな子どもの頃の話。でした。